最近いろんな読書術の本を読んでいて気がついたんですが、大学教授や研究員の方が書いた読書術の本を読むと
「著者とケンカしながら読め!」
「読書は格闘技だ!」
といっています。
こういうった読書方法を「クリティカル・リーディング(批判的読書法)」と呼ぶのですが、
この読み方を続けたら性格がとんでもなく悪くなるんじゃねーのか? と思ったので、この記事では私の考えた理想の読書術を解説しています。
クリティカル・リーディングが良くないと思う理由は、プライドが高すぎると他人からの教えを吸収できないから
本を読んでいるときに、
「こいつ(著者)の考え、気に食わねーな」
「この表現って人としてどうなの?」
「小難しい言葉つかいやがってスカしてんじゃねーぞ」
と思ったことはありませんか?
私はある。
ひねくれた性格しているから存分にあるぞ。
で、そんな私の経験だと、
一度そういう印象を持ってしまうと、その本に書いてあること全部が気に入らなくなります。
だからビジネス書や実用書を読んでいるときは、もう終わったようなもんです。
ノウハウや知識にケチつけることしか考えられなくなります。
人は、下に見ている人間からは学ぼうとしなくなる
『ぼくは勉強ができない』という作品には次のようなセリフがあります。
ぼくは部室を出て行く先生の後ろ姿を見詰めながら、いい奴だなあと思った。
年上の男、しかも教師に向かって、いい奴とは、とても無礼だと、ぼくも思う。
しかし、ぼくは、彼が好きなのだ。
第一、いい顔をしている。
美形というのではないが、味わい深い顔というのだろうか。
おまけに、女にもてる。
女生徒の中にはあこがれている者も多い。
ぼくは、いい顔をしていて女にもてる男を無条件に尊敬する。(中略)
しかしね。
ぼくは思うのだ。
どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。
女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。
変な顔をしたりっぱな人物に、でも、きみは女にもてないじゃないか、と呟くのは痛快なことに違いない。ぼくは、桜井先生の影響で、色々な哲学の本やら小説やらを読むようになったが、そういう時、必ず著者の顔写真を捜し出して来て、それとてらし合わせて文章を読む。
へっ、こーんな難しいこと言っちゃって、でも、おまえ女にもてないだろ。
一体、何度、そう呟いたことか。
しかし、いい顔をした人物の書く文章はたいていおもしろい。
その反対は必ずしもなりたたないのが残念なところである。
な……なんということだ。
「顔が悪いから」という条件では、どんなに頭がよくても信頼されないのである。
これと同じで、自分のほうが頭がいいと思い込んでいると、ほかの人の意見や知識を受け入れなくなっちゃうんです。
ということは、クリティカル・リーディングの弱点はマインド面に悪影響を与えるということである
最初はクリティカル・リーディングのことをボコボコに批判してやろうと思ったんですけど、「プライドが高くなって知識の吸収の邪魔をする」ぐらいしか批判するとこなかったんですよ。
じっくり考えてみたけどほかに悪い点が見当たらない。
つまり、著者の人格を攻撃さえしなければクリティカル・リーディングってけっこう良い読書術なんじゃねーのか?
私の考える読書術「批判的に読むのではなく、切磋琢磨しながら読むこと」
会社の会議をしているところを思い浮かべてみてください。
- 発表している人の意見をウンウンと全部受け入れるのが「受け身の読書」
- 最初からダメだと決めつけてダメ出しばっかりするのが「批判的読書」
- 発表している意見に自分の意見や体験談を加えて、アイデアをよりよくするのが「切磋琢磨する読書」
これよくない?
我ながら良い例え話できてると思うんですけど!?
つまり、本に書いてあることをただ受け取るだけだと、知識は「プラス1」ぐらいしか増えません。
だけどその知識に自分の頭で考えたアイデアを組み込めば「カケル3」ぐらいになるんじゃないかと思います。
本を読むときに思考停止しちゃいけなかった
「クリティカル・リーディングをしろ!」っていってる人はこれがいいたかったのか。
つーかよぉ、「批判的」っていう訳がよくないわ。
おかげで勘違いしちゃってたじゃねーか。
最近知ったんだけど、日本で有名な言葉にも誤訳がたくさんあるらしい。
たとえば、エジソンの
「天才は1%のひらめきと99%の汗」
↑これまちがいらしいです。
本当の意味は
「1%のひらめきがあれば、99%の無駄な努力をしなくてもよい」
って意味らしい。(出典:『自分を劇的に成長させる! PDCAノート』)
おい! ぜんぜん意味がちがうじゃねーかよ!
まったく、2018年にもなって誤訳に振り回されてるなんてヤレヤレですね。
本題に戻りますが、結論としては、
である。