Twitterを見ていると、こんなのをよく見かける。

「日本は息苦しい……。○○国はこんなんじゃなかったのに……」

「日本の✕✕な文化は時代遅れ! ○○国では△△なのに!」

「日本から離れてみて思った。こんな国にいたらダメな人間になる」

 

こういう上から目線のやつらにいいたい。

ただ飛行機に乗っただけのヤツに、なぜデカイ顔をされねばならんのか。

 

だってそうだろう。

偉そうに日本のことをこき下ろしている連中って、ただ飛行機に乗り、ボケーッと座っていただけじゃないか。

外国で交流をしたり仕事をしていたわけではない。

ただ飛行機に乗り
現地の人とは交流せずに日本人だけで群れて行動し
海外に定住した経験もないようなバカどもに、

な~んで、偉そうなこといわれねばならんのでしょうか。

さて今回は、「海外旅行しただけで、自分のことを白人様になったと思い込んでいるバカども」について考えてみましょう。

海外旅行したことを、さも偉業でも成し遂げたかのように語る人たち

彼ら彼女らから伝わってくるのは

「私は海外まで行ってきたんだよ! すごいでしょ!? 褒めて!!

というメッセージである。

これをもうちょっと詳しく説明すると、

「海外に住んでいる人はすごい」

「海外に降り立った俺すごい」

「海外にいない俺以外のやつすごくない」

この思考によって、最終的には日本に住んでいる人に石を投げるが如く、上から目線のツイートを連投するのだ。




つくづくバカですよね。

「海外に住んでいる人はすごい」と思い込んだ理由として、最近よく見かける『日本称賛系の番組』の影響があるんでしょう。

海外で活躍する日本人を紹介する番組あるでしょ?
あれを真に受けてんの。

 

んまー! なんて俗っぽい方々なんでしょうか。

ええっと? まとめてみると

  1. テレビで「海外で活躍する日本人の番組」を観る
  2. それに影響されて飛行機に乗る
  3. 海外に降り立った時点で、自分もすごい人になったように思い込む
  4. 「海外にいる人はすごい=海外にいない人はカス」なので、日本にいる人を叩く

なんて短絡的な思考の持ち主なんでしょう。

私は声を大にしていいたい。

「バカに渡すな、ネットとテレビ」

 

同じ思考回路の持ち主に、「上京すれば人生変わる」とか思い込んでいるのもいる。

そんで実際に東京行って自分を成功者と錯覚し、田舎在住の人をバカにしてんの。

 

そいつらにいってやりたい。

海外や東京に行ったからすごいのではない。

そこで結果を残したからすごいのだ。

イチローや大谷はメジャーに移籍したから褒められてるんじゃなくて結果を出したから褒められるのである。

キサマらは海外に行って価値観が変わったのではない。
テレビを見て価値観が変わったのだ。

「海外に行けば価値観が変わる」←この発想が日本の社畜精神まる出し

意識高い系の若者によく見られるのが「海外での自分探し」である。

彼らによれば「海外の生活を見ることで、洗脳された日本文化の異常性に気づく」とのことらしい。

 

私からいわせれば、その発言事態がじつに日本人らしいと思う。

「価値観を変えるためにお金を貯めて海外へ行く」

「お金がないからバックパックで貧乏旅をする」

すばらしい!

修行大好き、社畜精神、奴隷根性という日本の文化が非常によく現れているではありませんか!

 

うんうん、そのとおりだな。

日本人は苦労しなくちゃ成長できないからな。

 

そんで海外旅行を終えた若者はいうのだ。

「海外に行って価値観変わった。だからお前らも行け」

これを翻訳しますと、

「俺は海外に行くまでこんな苦労をした。だからお前らも苦労して海外へ行け」

 

すばらしい!

「自分が苦労したんだから、ほかの者も苦労すべき」という日本の文化がよくわかるではないか!




ちょっと脱線したけど、本当に彼らって修行好きだよね。

海外旅行なんてものは、「がんばった自分へのごほうび」とか「楽しいから行く」とかで良いじゃんか。

それを「自分探し」だの「○○円でバックパック」だの……。

どうして自分を苦しめる必要があるのだろうか。

海外まで行って国民性のちがいしか見つけられないくせに、なぜ偉そうなのか

彼らを見ていて腹が立つのが、「意見を述べるのではなく、事実を語る点」である。

何かをしゃべる際に「海外では~」とか「アメリカ人は~」という言葉を付け加えるバカどもをよく見かける。

この論法は、海外の事情を知らない人にとっては事実の確認をしようがないため、とても強力である。

 

が、私からすればこういうことをするのは「自分の意見を作ることのできない大バカ野郎のすること」だ。

彼らは物ごとを考えて自分の意見を作ることができないため、ファクト(真実)によって盾を作る。

「アメリカではこうだった」という知りようのない事実を使ってネチネチと攻撃してくるサマは、いじわるな姑が「わが家では昔からこの味でやってるんです」などと新妻イビリをする姿によく似ている。

 

そもそも、海外に行って国民性のちがいぐらいしか見つけられなかったというのは、よほど器量が乏しかったのではないだろうか。

悔しかったらキサマのいう「価値観」とやらを自分の言葉で語っていただきたい。




さて、これを書いている本日は1月12日。

ということはもうすぐ大学生が約2ヶ月間の春休みに突入します。

そこで海外旅行に行った若者は「海外行って価値観変わった」などと言い出すでしょう。

とてもほほえましいではありませんか。

まるで、新しいおもちゃを買ってもらったばかりの子どもが、そのおもちゃでばっかり遊んでるみたいです。

 

みなさんも、こういう連中のことを「幼い子ども」だと思って優しく見守ってあげてください。

未熟な子どもを見守るのは、大人である私たちの仕事なのです。