落語をつまらないと言うのはタブーみたいな空気がありますが、はっきり言って全然おもしろくないです。
もし私と同じことを思っている人がいたらいいな~と思うので書いてみました。
落語がつまらないと思う理由
何て言ってるのか聞き取れないから
落語って昔の言葉を使って話すので、何て言ってるのかよくわかんないです。
それに落語家って年寄りばかりですので”だみ声”で聞いてて不快に思います。
ネタがつまらない
落語って笑えるポイントが絶望的に少ないです。
お笑い芸人のやる漫才は10秒に1回ぐらいは笑えるポイントがあるんだけど、落語は笑いどころが少ない。(笑いのテンポが悪い)
落語は「笑える」よりも「なるほど~(・o・)」って納得する系の話が多いので、個人的に好みではないです。(っていうか笑えません)
『タイガー&ドラゴン』っていう古典落語をモチーフにしたドラマがあるんですが、落語パートのところはサッパリおもしろくないです。
↓タイガー&ドラゴン
前々から思ってたんですが、落語家って古典落語に頼りすぎだろ。
「昔のすごい人が作った話だから、時を越えて愛され続ける」っていうのはわかるんだけどさぁ・・・。
そろそろボロが出始めてると思うぞ??
「話術を磨いている」といえば聞こえは良いですが、見方を変えれば思考停止して過去の栄光にすがっているだけです。
「思考停止」というのは、新しいネタを考えることを放棄して昔の人が作ってくれたものを使っているという意味。
ぬるま湯につかってるだけってことです。
その点、綾小路きみまろ先生はすごいですわ。
あんなにおもしろい話を作るのに、どれだけの時間と労力をかけているのだろうと考えると圧倒されます。
そのへんのザコ落語家とは格が違いますわ。
初心者はお断りみたいな空気がある
落語って「◯◯の話(落語の演目)を知らないヤツは、落語について語る資格がない」みたいな風潮があるんですよね。
たぶんこの記事にも
「それはお前が落語を理解していないからだ」
「落語のおもしろさがわからないなんて、かわいそうですね」
みたいなコメントが来るかもしれませんが、そういう所だよね。
落語みたいなマイナーな趣味ってこういう人ばかりです。
落語は人気が落ち目なのに「一見さんお断り」なんてやってたら、ますます落ちぶれていくでしょうね。
「落語がおもしろい」って言ってる人は無理してると思う
「落語がおもしろい」って言ってる人は、落語が昔からあるものだから落語ファンを名乗ってるだけだと思います。
そうしたほうが「かっこいいから」とか「通っぽいから」というのが心のどこかにあるんじゃないかと思う。
私から言わせてもらうと、落語は和菓子みたいなもんです。
和菓子は日本に昔からあるものだから残っているけど、はっきり言っておいしくない。
「ういろう」とか「八ツ橋(生八ツ橋はおいしい)」より、ケーキやクッキー、チョコレートの方がはるかにおいしいし人気です。



それなのに居るんですよね、無理して「おいしい」とか言う奴が。
気持ちはわかります。
買ったものを捨てられない精神みたいなものでしょ?
「落語は高尚なもの」というイメージを持ってそう
上のほうで「落語は初心者お断りみたいな空気がある」って書いたけど、たぶん落語ファンは自分たちのことを”頭がいい人間”だと思い込んでいるんだと思います。
だから初心者を見下したような態度をとるのでしょう。
そんなだから、私のように落語を糾弾するようなブロガーが出てくるんだよな。
これからはもっと多くの人が「落語はつまらない」と言い出し始めると思います。
結論:進化し続けないと衰退する
私は先日、誘われて初めて落語を聞きに行ったのですが同意見です
この記事は感情のままに書きなぐった悪口満載のものでしたので「批判のコメントが来るかな~」と思っていたのですが、同意していただけてうれしいです。
落語がおもしろいっていってる人に「どこがおもしろいの?」って聞いても
・「バカにはわからんだろうな」
・「きみは教養がないんだろうね」
みたいなことしか返ってこないからイラつくんですよね。
「おもしろさを説明できないくせに偉そうなこといってんじゃねえよ」と思います。
「今でしょ!」の林修先生が、テレビで「手段としての読書は僕が一番軽蔑してる読書」といっていました。
落語を趣味といっている人も手段として落語を嗜んでいるんですよね。
「落語のおもしろさを理解できる俺って知的だろ~?」みたいに、自慢する手段として趣味を選んでいる大バカ野郎だと思います。
まぁ今更ですが、林先生は落語が大好きです
私は小さい頃から何故か落語が好きなので面白くないという方の意見になるほどー!と思いました。
確かに難しい教養的なものも沢山出てきてわからないこともあるんですが、後から気になってそれを調べるのが好きです。
30代ですがこの歳になってようやく寄席へ行く事ができ生の落語をみて感動しました。
そこまで詳しくはないんですが、そこまで高尚なものとは感じません
東京の寄席だとお弁当食べながらお酒も飲めますよ
私は笑いの多いネタも好きですが、聴き入ってしまい笑いが起きない人情噺も好きです。
筆者さんが落語に対して持っているイメージは、かなりステレオタイプのようですね。
私も、数年前まで落語に対して「古臭い」「お年寄りの一部が聞くもの」というイメージを持っていたため、筆者さんの気持ちもよくわかります。「進化し続けないと衰退する」これはどのエンタメにおいても同じですね。
では、落語は本当に進化していないのでしょうか?落語ザムービーや、落語ディーパーといった番組名は聞いたことがありますか?どちらもここ数年放送された番組で、進化していない落ち目の芸能であれば、新しく番組が始まるということはありません。
また、筆者さんが落語を最後に聞いたのはいつか?も気になります。落語は、 というか大抵のエンタメはそうですが、生で見なければ面白さはなかなかわかりません。特に、落語はそうです。
ぜひ有名落語家の落語を聞きにいってはいかがでしょうか?(立川志の輔・春風亭一之輔・桃月庵白酒・三遊亭兼好・柳家喬太郎など。寄席は初心者には向きません。渋谷らくごなどのイベントもおススメ。時間がなければ志の輔師匠の落語をユーチューブで聴くのがよろしいかと)
「落語は進化していない」とおっしゃいますが、今人気を集めている落語家はことごとく落語を進化させている落語家です。というかそうでなければファンはつきません。例えば、立川志の輔師匠や柳家喬太郎師匠は演劇的なアプローチや、枕(落語の前のフリートーク)で大爆笑を取っています。落語ディーパーや、プロフェッショナルにも出演した春風亭一之輔師匠は、落語にオリジナルのギャグや、新解釈に基づいた新しい展開を入れたりして落語ブーム(一応落語ブームと今は言われています)を牽引しています。それを生で見ないことには、落語は語れませんよ。
筆者さんは音楽は聞かれますか?例えば、音楽を聴いている中で、全然いいと思わない曲があったからといって、「音楽はダメだな」とは思いませんよね?その楽曲を作った人の、偶然その楽曲が好みに合わなかっただけでしょう。
しかし、落語の場合、一度面白くなかったからといって、落語全体が面白くないという風潮で言われます。もちろん、そんな風に思わせる、全く面白くない落語家がいるのも事実です。というかかなりいます。どんなジャンルも、大半はカスです。小説やドラマもそうですよね。
ぜひとも、「落語」という視点ではなく、上に挙げた面白い「落語家」を見に行くという考えで、生で落語を聞きにいってください。筆者さんが落語を好きになってくれたら嬉しいです。
渡部さんコメントありがとうございます。
「落語ザムービー」「落語ディーパー」はまったく知りませんでした。
落語を生で聞いたことはありません。
また、一部分だけ見て落語全体をつまらないと判断したのはまちがいでした。
自分の好きなものの一部だけで判断されたらイラつきますよね、すみません。
『異世界落語』『昭和元禄落語心中』みたいな敷居の低そうな落語に挑戦してみたのですが、イマイチ楽しみ方がわかんないんですよね。
「なんで楽しめないの?」と自己分析してみると、ブログにも書いたとおり、「なるほど~(・o・)」って納得する系の話が好きじゃないっぽいです。
このブログを書いた後に『ジョーク力養成講座』という本で知ったのですが笑いにはいろんな種類があり、「ユーモア」とは別に「エスプリ」というジャンルがあるようです。
これこそ落語のような「なるほど~(・o・)」となる感じの笑いです。
個人的には「ドカン!」と笑いが起きるようなものが好みなのですが、そういうのを得意とする噺家さんがいたらファンになるかもしれません。
渡部さんは落語のことを好きというのが伝わってきました。
なので落語のことを何も知らないくせにブログで落語批判をしている私のような人物に対して普通はイラつくと思います。
しかし渡部さんはやさしく落語のことを教えてくれたので、私の中の「落語ファンは頭がカチカチ」というイメージが薄まりました。
まずは紹介していただいた志の輔さんの動画を観てみます。
いだてんの落語が面白くないで検索してたらたどり着きました。正直同感です。伝統芸能ってだけなんですよね。進化している感じしないし興味もない。落語面白くないって言うと落語を盛り上げようみたいな空気になってほしくもないのでSNSで発言しませんがひっそりと絶滅してほしい感じです
漫才やコントは時代に合わせネタが変わっているが、落語は語り手は変わるが内容は同じ。
桃太郎や浦島太郎を何回も聞けばそれは飽きます。
私も同意見です。
落語って正直何が面白いか分かりません。昔からある伝統なので残っているだけだと思います。
面白さは人それぞれですが、お笑いとかYouTubeの方がよほど面白いです。また、初心者お断りの空気感も非常によく分かります。
衰退産業の癖に、初心者お断りだなんて自分から潰れに行く様なものです。時代にあっていませんよね。
落語の面白さを誰か教えてください。本当につまらないので。
せめて、長い文章は話し言葉ではなく、書き言葉で書いたほうが読み手に伝わりやすい。
落語てそもそもお笑いなのか?ジャンルを漫才とか漫談のお笑いと区別した方がいいと思います。
>何て言ってるのか聞き取れないから
これは一部の落語家だけの問題です。落語家は滑舌の悪い人の集まりではないですから。
>それに落語家って年寄りばかりですので”だみ声”で聞いてて不快に思います。
なんで「年寄りばかり」と思ったのでしょうか?
若手もたくさんいますけど……。
>ネタがつまらない
そりゃそうです。百年以上前のセンスで作られたネタが面白くないのは当然です。もちろん例外もありますけど。
しかし新作が作られていないわけではありません。
>「落語がおもしろい」って言ってる人は無理してると思う
これは絶対にしてないと断言できます。無理をしてる人はすぐに「やっぱり落語はつまらない」という結論に達するはずです。
>落語家って古典落語に頼りすぎだろ。
新作もたくさんあるはずです。問題なのは世間の人が新作落語を見る機会が少なすぎるということです。
楽しむ努力が必要だから普通に見てもうっわつまんねーで終わる
まず、日本の話芸に共通するのは一人でドラマを作り上げる技術であります! つまり落語を「お笑いの類」として観るよりまえに「話芸」として観るといいと思いますよ。たしかに「お笑い」として観ると正直現代人のツボとはかけ離れています。でもたとえばトークショーでうまく語るなあという芸人さんやあの先生の授業は眠くならないなぁとか声だけで世界が伝わり感動するラジオドラマ。その楽しみ方に近い「話芸」としての魅力を探ると「なるほどぉ」となりますよ!
全く同感です。冷静にみすぎているのかも知れませんが、面白いところがありませんでした。
風情を楽しむ物なのかも知れませんね。
ケーキにも不味いケーキ美味いケーキがある。
団子にも不味い団子美味い団子がある。
漫才も面白い漫才つまらない漫才がある。
落語も面白い落語つまらない落語がある。
美味しいもの食べたい、面白いので笑いたい、
それの種類や方法、その可能性は多い方がいい。
それが多様性を尊重する意義だよ。
優れた革新性を持つものだけ残し尊重するその先を考えたらいい。
筆者さん、自分の可能性もすぐに切り捨ててしまっているんじゃないかい?
ただこれは現代社会で個々の役割の細分化が進んだ結果でもある。
それでもそればっかりじゃ疲れちゃうじゃないか。
も少しラフでいいんだよ。
落語という文化の構造上の問題も確かにある。
だがそんなのは世の中にいっぱい溢れてる。
そこまで躍起になって共感を得ようとしなくても自分の趣味じゃない、自分の価値観とは違う価値観もある、でいいんじゃないか?
0か100かで切り捨てすぎてました。
こたろーさん、優しく諭してくれてありがとうございます。
「〇〇人だから信用できない」「☓☓人はクズ!」とか人種差別してるみたいでダサいことしてました。
どこの国の人でも悪い人はいるし良い人もいますよね。表面だけ見て決めつけ過ぎでした。
読書家は落語を楽しめると思いますぅぅぅぅ
最近気になった本がこちら。
・『ビジネスエリートがなぜか身につけている 教養としての落語』
・『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント』
・『ビジネスエリートは、なぜ落語を聴くのか?』
落語家の出す本は、なぜこうも意識高い系なのか。
やっぱ自分のこと高尚だと思ってんのか?
と、少しイラッときてしまいました・・・・(すいません)
ということでおすすめの本あります?
私からは『湯神くんには友達がいない』って漫画がおもしろかったです。(主人公が落語好き)
いやー、MAXレベルの落語好きなので、この文章をイライラしながら拝読しました(笑)和菓子も好きなので、更にイライラ(笑)しかし、投稿者さんが落語に対して抱いてらっしゃるイメージをお持ちの方って、結構多いんですよね。ただ、そういった方には、落語を聞いたことがないのに、フィーリングで叩いてらっしゃる方が多い印象です。いや、質問者さんがそうじゃないとしても。「落語=古臭い、つまらない、無理して聞いている」という風な構図を組み立てちゃって、一事を万事にしてしまっている方ですよ。
個人的にこの文章を読んでいて引っかかったのは、「前々から思ってたんですが、落語家って古典落語に頼りすぎだろ。「昔のすごい人が作った話だから、時を越えて愛され続ける」っていうのはわかるんだけどさぁ・・・。そろそろボロが出始めてると思うぞ??「話術を磨いている」といえば聞こえは良いですが、見方を変えれば思考停止して過去の栄光にすがっているだけです。「思考停止」というのは、新しいネタを考えることを放棄して昔の人が作ってくれたものを使っているという意味。」というところです。ここを読むと、投稿者さんが落語に対して、何かとんでもない誤解をなさっていることが分かります。落語というものは本来、個人の手によって生まれるものではありません。勿論、小咄や笑話など、原本となるものはありますが、それだけでは落語の体は成し得ません。落語とは、様々な演者の手によって様々な改良がなされ、血肉がつけられ、反対に余分なところが削られて、磨かれていくものです。落語において削られるところ、というのは、時代を超越し得ないギャグ、一世代すぎると、風化してしまう笑いです。むしろそれは、主に漫才や漫談に取り入れられています。時代を反映したギャグは、良くも悪くもわかりやすいです。ズレが認識しやすいですから。反対に落語の核となる笑いは、人間心理に基づいたいつの時代でも通じる洒落です。人間の心理を反映した笑いは、量も作れませんし、薄味でもあるでしょう。しかし、旨味や風味があり、暖かく、情愛に溢れ、「落語っていいなあ」と、しみじみ思えるような味わいがあります。勿論、好き嫌いはあるにせよ…
私は、落語を聞くと、笑える笑えないに関わらず、落ち着きます。落語に包み込まれているような感覚になるんです。決して「落語を聞いているオレかっこいい」と思ったことはありません。また、今まで様々な落語好きの方と出会ってきましたが、皆さん、本当に落語が好きで、落語に救われて、落語とともに歩んできて、落語と向き合って来られた方々でした。誰ひとりとして、「落語を聞いているオレ」はいませんでした。私は、そのような良き落語好きが貶されていることに対して、非常に憤りを感じています。
それよりも何よりも、落語家の師匠方が貶されることは、もっと我慢なりません。先程も述べましたが、落語とは、受け継がれていくうちに、骨肉が付き、磨かれていき、現在の形になったのです。一つの落語が誕生する過程には、多くの落語家の苦心や創意工夫、文字通り血反吐を吐かんばかりの苦悩があるのです。壁にぶち当たって、自分で自分が嫌になって、どうしたらいいかわからなくなって、悩んで悩んで悩んで悩んで、それでも落語を捨てきれなかった、落語にすがりつくしかなかった。そんな方々の集まりなのです。そういった落語家の覚悟、業も想像せずして「ぬるま湯につかっている」とは片腹痛い。ぬるま湯どころか、煮えたぎった油の中で、剣山に座っているような心持ちでしょう。そんな中で、落語にしがみつき、死にものぐるいでもがいてらっしゃるのです。古典に甘んじているのではない。古典を受け継ぎ、より素晴らしいものに昇華すべく、磨いてらっしゃるのです。それを言うに事欠いて「ザコ落語家」とは何たる戯言か。
すみません。少々激昂しました。そもそも、私から見た落語と、投稿者さんから見た落語は見え方が違うでしょうし、これだけ書いても投稿者さんからすれば「ナンノコッチャ」という気味でしょう。しかし、どうかこれだけはご理解いただきたい、落語とは、落語好きとは、落語家とは、あなたが思うほど甘っちょろいものではないのです、長々と失礼しました。
落語でも漫才でもコントでもただの娯楽なんだよ。それを甘っちょろくないなんて言う時点で面倒な人たちだな…としか思わない。所詮娯楽、遊びであるものを甘っちょろくないなどと何か高尚なものとして扱ってる時点で正に「落語を聞いているオレ」なんだって気づけよ。
自分が思っている事を、全て言ってもらった感じで、読んでいてスッキリしました。
同じように歌舞伎、能、ミュージカル、劇団の舞台などが全く面白くないです。
あと、少し違いますが、京都の一見さんお断りとかいう訳わからないルールなど。
こういうのを好きな人達は自分は特別みたいな感じがします。
面白さの説明も難しい言い回しをして、めんどくさくて余計つまらなさが増します。
まぁ好きなものは人それぞれなので、仕方ないですけど、自分はずっと好きにはなれないです。
歌舞伎や落語家がテレビでご存知!みたいに出演してるけど、誰?って思う人いっぱいいると思います。
グチグチと長文すみませんでした。
つまんないですよね落語
当時はエンタメ路線のお笑いで、当時の人達は純粋に面白いから楽しんでたのに、時代遅れになって誤魔化すために高尚ぶってる感じ
歌舞伎もそう
なんでしょうね
エンタメなのに高尚ですよってイメージをぶつけられてその様がつまんない感じはあるんですが。
実際高尚なものではないとおもうんですがなんかその辺の気持ち悪さがある
いけばわかる 好きな噺家が よし!なんか触れないほうがいいや!と