以前、『最近のビジネス書は下品で気持ち悪い』という話をした。
ここで存分にビジネス書の気持ち悪さを吐き出したと思いきや、まだ甘かった。
ビジネス書なるものは、私が想像していた以上に気色の悪い代物だったのだ。
最近のビジネス書のトレンドといえば、「エビデンス」である。
エビデンスとは科学的根拠のこと。
そして最近のビジネス書は、エビデンスをつければ売れに売れる。
科学に夢見るバカが大量に集まっているのである。
「○○大学の△△教授の研究によると〜」と語り出し、「□□をするときは✕✕をすれば効果的です」と締める。
なんやようわからんが、この調子でずっと話が続いていく。
内容としては、
- 勉強法
- 睡眠方法
- スケジュール管理
- 恋愛心理テクニック
- 健康法
みたいのを、聞いたこともないどっかの教授の名前を挙げつつ紹介するのである。
まるで、「俺のバックには○○組がついてんだぞ」並の強引な説得力を感じる。
こんなビジネス書がじつに多い。
例を出すと、最近は以下のふたりがアツい。
- メンタリストDaiGoさん
『最短の時間で最大の成果を手に入れる 超効率勉強法』
『自分を操る超集中力』 - 樺沢紫苑さん
『学びを結果に変えるアウトプット大全』
『脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術』
このふたりが日本にエビデンス教を発足させ、頭でっかちなエビデンス馬鹿を大量生産しているのである。
で、私はこの「エビデンス」が気に食わない。
もっといえば、「エビデンスを神格化している読者」にイライラするのである。
科学的根拠をつければ正義みたいな風潮が、どうも気に入らねぇんだ。
「エビデンスがあれば絶対に信用できる」という考えがバカ丸出し
私が思うのは、「科学的根拠って、そんなに信憑性あるか?」である。
実験だの研究だのと偉そうな言葉を使っているが、ここがすでにおかしい。
その研究って、多くがモルモットだろ?
「モルモットを運動させたら脳が活発になった」とか「ストレスホルモンを注射したら元気がなくなった」とか、おまえのエビデンスとやらはその程度かよ。
いわせてもらうが、そんなのは私の母と同レベルである。
飼い猫に話しかけて、「キャー! 返事したわー! うちの猫はおしゃべりができる天才よー!」とかいってる母と同類だ。
研究者「モルモットを断食させたら健康になった! よし、人間も絶食すれば健康になるぞ!」
↑ドブネズミと人間様を同等に扱うって、こいつマッドサイエンティストか?
ネズミの生育過程を「科学的根拠」だとしてノウハウ化するぐらいなら、スティーブ・ジョブズの「科学的根拠がなくとも経験から裏打ちされた精神論」でも聞いたほうが何倍も価値がある。
信じるべきは、「机上の空論」より「血の通った方法論」ではないのか?
その科学的な方法、再現性ありますか?
たまに人間を使った研究もあるが、それはそれで信用できない。
エビデンスとして紹介される実験結果は、たいていが海外のものである。
人種・性別・年齢・健康状態・気候・食生活……、前提条件が日本人とはまったく異なる。
そんなものに再現性はまったくないのである。
いくら効果があろうとも、それをマネできるかどうかは別問題。
野球でいったら、すべての選手が大谷翔平のフォームをマネすれば最強である。
160kmの球を投げられるようになるしホームランも量産できる。年収は1億円を軽く超えるだろう。
じゃあなんで大谷のフォームをマネしないの?
フォームを自分のものにできないからである。
骨格や筋肉のつき方、運動神経などがちがうから、マネしても同じパフォーマンスが出せるわけがない。
そのへん無視して、「○○は効果がありますよ」などと大口叩いてるビジネス書は誇大広告なんじゃないのかい?
そのエビデンスは、都合の良い解釈でしかない
『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』という本を読んだ。
この本の売りは、「人が効率よく成功するための方法を、エビデンスがあるものだけ紹介する」である。
エビデンス大好き人間からしたら、もうたまらん書物だろう。
監訳者もはしゃいじゃってすごいんだ。
「この本は画期的な本だ」
「エビデンスがついててめっちゃすごい」
「外国の本はエビデンスがあってすごい。それに比べて日本の文化は遅れてる」
こんなのふうに、まえがき・あとがきで大騒ぎしている。
この監訳者も、なかなかのエビデンス厨である。
「エビデンスつきの本が世界の常識」などと、エビデンスつきの本を神格化しまくる。
『残酷すぎる』なんていう大仰なタイトルをつけ、鳴り物入りでビジネス書界に殴り込み。
しかしこの本、そのエビデンス集めが仇となり、とんでもない墓穴を掘ることになる。
たとえば、この本では「自分に自信のある人が成功する」と主張する。
もちろん、「多くの起業家や成功者の統計を調べた結果〜」などというエビデンスアピールは欠かさない。
が、そんなことを主張した直後に「すまん、もうちょっと調べたら、自信のない人も成功してたわ」などと主張を変更する。
やはり、「この人はネガティブで自信がない人なんだけど、仕事には良い影響を与えており〜」と、すかさずエビデンスを添える。
著者の暴走は止まらない。
このほかにも「引き寄せの法則は逆効果!」と言った直後に、「自分に成功の言葉を投げかければうまくいく」などと言い始める。
とんでもない二枚舌野郎である。
これじゃあ「アメリカ人は嘘つき野郎。エビデンスは『残酷すぎる成功法則』の著者」などと言われちゃうぞ。
だが著者のことは責められない。
これがエビデンス重視の弊害なのだ。
成功法則なんて探せばいくらでも見つかる。「血液型A型は几帳面だから成功した」←これぐらいの説得力
はっきりいって、成功する人は、どんなことをしても成功する。
- 早起きをして
- すべての人に感謝して
- トイレ掃除をして
- 超効率的な仕事術を実践して
- 自信を身につけて
- 守護霊に守ってもらって
- 瞑想をしてストレスを発散
したとしても、失敗するヤツは失敗する。
絶対に成功する法則なんて存在しないのである。
成功というのは、運とか環境によっても決まる。
行動だけですべてが決定するわけじゃない。
また、「本人が意識していない行動」が知らず知らずのうちに成功に結びついている場合もある。
そんな人に「成功の秘訣はなんですか?」と聞いても、本人だってわからないのだ。
つうか、エビデンス付きの本なんかめずらしくないから
思うのだが、エビデンスを妄信してるのは、これがカタカナだからじゃないのか?
エビデンス、日本語にすれば「根拠」である。
本を読む人や論文を書く大学生ならわかると思うが、本や論文の最後には「参考文献」の欄がある。
あれも立派なエビデンスである。
こんなもん、何十年も前からあっただろう。
カタカナ言葉を使えば頭が良くなったと思い込んでいるバカ、それがエビデンスを神格化しているバカなのだ。
ここで疑問なのだが、なぜこういったバカは減らないのだ?
だってそうだろう? こいつらは本を読んでいるから知識はあるはずだ。
「効率的に勉強する方法」や「時間を有意義に使う」ための本(しかもエビデンスつき)で最新の成功法則を学んでいるのに、なぜバカなままなんだ?
その疑問にお答えしましょう。
それはヤツらが「情報だけ集めるノウハウコレクター」だからだ。
「ムダな努力はしたくない。失敗したくない。最高の状態で挑戦したい」←これが連中の考え方
正直、こういう気持ちはすごくわかる。
なぜなら、私も効率ばっかり追い求めてる人間だからだ。
過去には、死ぬための方法に効率を求めたりもした。
(『効率厨の人生って絶対成功しない。自殺するのに効率化を求めたバカの話』)
そんな私だからわかるんだけど、効率を求めてるヤツって、現在ヤバイ状況にある。
具体的にいえば、
- すでに周りから出遅れており、先頭集団から大きな差を付けられている
- そのことに「ヤバイ」と感じ、焦っている
- なんとか追いつくために、効率の良い「一発逆転の方法」を探している
こんな感じの、現在進行形の負け組なんじゃないか?
こんな状態だから「もう失敗できない」と感じて、最高のノウハウを探し求めている。
がんばっても意味がなかったら損をしたことになる。
だから必ず成果が出る方法を調べてから実践したい。
その気持ち、すっげーわかる。
すげーわかるから言うんだけど、これ、結局行動に移せないんだよな。
次々に「最新の研究結果」が出てくるから、そっちが気になってしょうがない。
新しい本が出たら、そっちのほうが効率のいい方法が書いてあると思って買ってしまう。
ビジネス書って、麻薬みたいな中毒性がある。
こういうのを、みんなが好きなエビデンス付きの用語で「意思決定の麻痺」と呼ぶ。
選択肢が多すぎると、かえってどれを選べば良いのかわからなくなり、行動できなくなる心理現象である。
情報収集は麻薬、超気持ちいい。行動するのはめんどくさい
アメリカの有名大学の研究結果とか、成功者のやり方を知るのって、なんともいえない快感がある。
効率の良いやり方を知っただけで「これで俺も変われる」みたいな全能感が得られる。
これが気持ちよくて、ノウハウを探すのをやめられなくなる。
ここで私は思う。
そうか、今まで「情報を食ってた」んだ……。
「勉強法」という情報を食べただけで勉強した気になり、「モテる方法」を学んだだけでモテるようになったと錯覚する。
なんかすごそうな情報を手に入れただけで満足してるんだ。
これに気づいたら、情報を食うのが恥ずかしくなった。
やってることが、頭悪そうなタピオカ女と同じである。
「みんなが飲んでるから〜」
「インスタ映えするから〜」
「タピオカ持ってるだけでおしゃれに見えるから〜」
バカ丸出しである。
ビジネス書オタクも同じだ。
「○○さんがおすすめしてるから〜」
「年間○○冊読んでるっていうと自慢できるから〜」
「読書してるってだけで知的に見えるから〜」
俺はこいつらと同類だったのか。
もうノウハウコレクター辞めたいわ。
そこまで「最新のノウハウ」を追い求める必要はないと思う。
だって考えてみてくれよ。
「最新型」と「旧型」って、そんなに効果に差が出るか?
家電とか車とか、数年前のものでも十分使えるだろう。
そんなら旧型だろうが、とりあえず使ってみたらいいのである。
それで気に食わないなら自分で改良すればいい。
こういうのを意識高い系の言葉で「PDCA」という。
ウサンクサイ大学のヘンテコリン教授の研究結果など待つ必要はない。
自分で試し、自分でやり方を確立していけばいいのだ。
最後に、エビデンス信者たちへ相談がある。
ここまで偉そうなことを書いてきたが、じつは私はニートである。
社会の最底辺が今まで説教かましていたのである。
そんなニートからの相談なんですが、今すぐ人生逆転しないとヤバイです。
- 一切の努力を必要とせず
- 失敗や恥ずかしい思いもせず
- のんびりしているだけで儲かる方法
こんなノウハウありませんか?
みなさんの豊富な知識で、私に一発逆転の方法を授けてください。
良い方法があったら、下にあるコメント欄にお願いします。
※なお、エビデンスのないものは信用できないため、拒否させていただきます。
ちなみに、私の通ってたFランク大学では、教授の作ったレジュメの参考文献は「Wikipedia」だった。
(『 Fラン大学の実態を暴露します! 大学を中退した私の経験談』)
↑さんざんネタにしちゃったけど、この本おもしろかったよ。
なんといっても、豊富なエピソード(エビデンス)がおもしろい。
特に「人生をゲーム化して楽しく努力する方法」が参考になった。
3を満たすものはあるけど1.2.3全部を満たすものは無いし、2と3両方すら怪しい。1を苦労と書き換えれば多少満たすものが出てくるかもしれない。
ほんとそれ。
啓発本読んでハマる奴は、有名な予備校講師の授業受けただけで偏差値が上がった気になっている奴とおんなじ。読むだけで行動する事はない。オ○ニーにちかいですよね?(笑)
「エビデンス」に対する理解が偏っているのでは?
外来語に対する理解が足りていないのにそれを使えば思考や議論が進むと思い込むのは日本人の悪い癖のひとつだと思います。
病みヲタ将軍さんコメントありがとうございます。
あやふやな理解のまま、何でもかんでも「エビデンス」のひとことで済ませてる人は多いかもしれません。
エビデンスにもいろいろあって、聞いたこともない大学のヌルい試験で得られたエビデンスもあれば、厳しい基準で認められたエビデンスもあります。
そこを見ずに、「エビデンス」といわれたらすぐさま信じ込むのはバカバカしい。
でも逆に、「エビデンス」って言葉をドヤ顔で使ってるマヌケを見つけるバカ発見機として使えるので「エビデンス」という言葉は有用な存在かも。
日本人しかしらんだろおまえ
ちょっと何言ってるか分からない
ひとつ気になった点を。
エビデンスレベルについて言及がなされてないですね。
確かに、質の悪い仮説を質の悪い仮説と見抜けずに「エビデンスがある!」と頭から信じ切るのは愚かです。
しかし、高度に統制された実験結果を適切な統計的仮説検定で分析した研究など信頼に足るものも多く存在します。なのでひと口に「エビデンスを信じるのは無能」と言うのは乱暴だと感じます。
ただ橘玲やDaiGo、自己啓発本の99.9%は前者の愚か者タイプなので、貴方がそういう風に感じるのも無理からぬことです。
特に「〇〇大の〇〇教授が言っていた」なんてのは一番低いエビデンスレベルに分類されるものなので、それを論拠にしている人や本を見るとなんだかなあと思います。
面白かったです。そもそもエビデンスは実際に実演することで本や論文に書いている結果を引用する事ではありません。
ただし物理科学に限れば論文には「実演する方法」を書くという決まりがありますからエビデンス扱いすることもあります。(普通は情報源という意味でリファレンスとかソースって呼びますが)
松浦さんが読んだ本が扱う社会科学や医学には再現性が保証されませんので本に書いてある通りにやっても同じことは起きないという意味で科学ではありません。英語では学位の呼称からして違います
石を投げれば落ちてくるとか、TVのスイッチを入れると番組が映るとかいう話だけが普通の人が期待する意味での科学の対象です
話のおちのつけかたがすごくいいですね